男はつらいよ 全作品覚え書ノート 山田洋次 渥美清 バリ島.吉川孝昭のギャラリー内
第2作 続・男はつらいよ
1969年11月15日封切り
『でも、もう…そのお父さんはいないのね…』 寅に愛を与えたマドンナ「夏子さん」
第1作の成功に気を良くした松竹はすぐさま第2作を作ることを決断するが、急がせたために全く新しい
脚本を書くに至らず、ストーリーや登場人物等を考えるとかなり『テレビ版の影響』がある。散歩先生のこと、
寅の入院、菊との悲しい再会、うなぎ釣り、散歩先生の死、などなどテレビ版の脚本無しにははじまらないのである。
これは第4作「新男はつらいよ」の設定にも同じことが言える。
しかしそれでもなお、この第2作はスタッフ、キャストのの情熱、安定した構成力、密度の濃さ等、長いこのシリーズの
中でも最高峰の一つであることは間違いない。特に散歩先生のキャラクターはとても魅力があり、かつ、東野英治郎さんの
好演もありこの作品が格調の高い物になっている。はしょって� ��っても上手くいくときは上手くいくものだということが
この作品や「望郷篇」などで見事に証明されている。このシリーズ全体で見ても最高傑作のひとつに上げていいだろう。
しかし題名の「続.男はつらいよ」でもわかるようにスタッフがこの時点でもなおシリーズ化を決めているわけ
ではないのがわかる。もう1本、もう1本、という感じでこのあともしばらくは作っていく。それもとてつもなく短い期間で。
松竹もスタッフに無茶を言ったもんだが山田監督達もよく情熱を持って作っている。たいしたものだと思う。もっとも
あまりにも急がせたためにこの後の第3作、第4作は、山田監督は脚本までの担当でとどまっている。
体は一つなので仕方が無いことだが、少し残念だともいえる。
ちなみに第3� ��を担当した森崎東監督の作品「フーテンの寅」はエネルギッシュな佳作で、このベストには
入れなかったが、山田作品とは違った「生々しさ」が光っている。
寅次郎を生身の香具師として描いた最初で最後の「映画」とも言える。このシリーズのどの作品にもない
「人間寅次郎」だ。ある意味、あれこそが厳しい現実の中で生きている寅次郎だとも言える。
また、第4作の「新.男はつらいよ」もオリジナル版を最も深く知りうる小林俊一監督の作品に相応しい、懐かしき
柴又の人々が佐山俊二さんや二見忠夫さんによって、そして谷よしのさんたち松竹大部屋の方々によって
生き生きとスクリーンを駆け回っていた。ある意味、あれこそが本来の「男はつらいよ」なのかもしれない。
柴又を舞台にした寅次郎は 実にいいものだ。
夏子さんの心根 寅のために泣いてくれたただひとりのマドンナ
下の写真を見ていただきたい。
これは第2作「続男はつらいよ」のラスト、京都三条大橋の袂で寅とお菊さんの二人の背中を見守る夏子さんの
表情である。
寅に対してあんなに優しい眼差しを投げかけた人は後にも先にも散歩先生のお嬢さん、坪内夏子さんだけである。
このことはこれまでに何度もしつこく書いてきたが、このシリーズでの彼女の寅に対する眼差しは惚れたハレタ
を超えて、運命共同体に向ける眼差しそのものだ。寅に必要なのはマドンナが彼を好きになってくれる以上に
実はマドンナのこの眼差しなのだ。このシリーズ で寅に対してこの眼差しを向けたのはさくらと夏子さんだけだ。
彼女の心は温かい。それは父親の坪内散歩先生から受け継いだ優しさだ。前にも書いたが、
葛飾商業時代の恩師である散歩先生は寅のために懸命に生みの親に会いに行くことを説得し、
悲しい結末の果てに寅と一緒に泣いてやるのである。私はこのシーンが大好きだ。
赤の他人で、寅のためにここまで一生懸命考えてくれるのはこの坪内散歩先生意外には誰もいない。
そのお嬢さんの夏子さんも観音様のように慈悲深いのである。寅に付き添いお菊さんの経営する
ラブホテルで必死にお菊さんを説得する彼女の姿に私は心を打たれた。
私は寅が好きで、寅びいきだ。
だから� ��のことを男性としてみてくれなかった夏子さんに対して実はやるせない思いをしてしまうが、
そんなことが吹っ飛んでしまうくらい寅と夏子さんは息が合っている。それもそのはず、夏子さん役の
佐藤オリエさんはテレビドラマの「男はつらいよ」の唯一無二のマドンナ坪内冬子さんなのである。
佐藤オリエさんが優しく「寅ちゃん」と呼ぶその声には長い歴史を感じるのだ。彼女こそ寅のマドンナの
代表である。マドンナの名の通り寅を優しく包み込む母なる温かみがある。寅の生涯の恋人がリリーなら、
寅の生涯のマドンナは夏子さんである。
坪内冬子という名前は、第1作で御前様のお嬢さんとして使われてしまったので、
ここでは冬を夏に変えて夏子としている。冬から夏なんていう簡単な変え方 がいかにも山田監督らしい。
坪内逍遥をもじって坪内散歩(逍遥は平たく言うと 散歩と言う意味)なので坪内姓は変えれないのである。
私はこの夏子さんと寅の場面で、あのラストの三条大橋以外の場面でもうひとつ好きなシーンがある。
江戸川土手でうなぎを釣る寅を夏子さんが訪ねるが、あの場面で自分の父散歩先生の生い立ちを
少し語るのである。
夏子「寅ちゃん…私夕べ、お父さんに叱られちゃった…。
寅ちゃんのことで」
寅「え!?オレのことで?」
夏子「あたし寅ちゃんのお母さんのことひどい人だって言ったら、急に怒り出して
『子供が可愛くない親がどこにいる、子供を捨てるにはそれだけの辛い事情があったはずだ。
他人のおまえが生意気な口をはさむんじゃない』って」
寅「でもねえ、お嬢さん、それはあのババアの面を見たことのねえ人の言うことですよ。
そうですよね。先生のような、上品なお母さんを持っている人には、とてもわからねえ…」
夏子「父もね、お母さんの顔知らないのよ…、」
寅「えっ!…」
夏子「父が二つか三つのときに死んだの…」
工場のサイレンが聞こえる。
寅「はァ…先生も産みのおふくろさんの
顔知らないんですか… はぁー…」
散歩先生が寅の気持ちをよく分かってくれる背景には、同じ寂しさ、哀しさを共有している
せいかもしれない。
このシーンは散歩先生のことを語っているのだが、それと同時に夏子さんの心根の柔らかな部分が
見ている私た� �にも優しくじんわりと伝わるいい場面だ。
夏子さんも寅のことを冬子さん同様親しみを込めて「寅ちゃん」と言う。できることなら冬子さん同様
夏子さんも、さくらたちと同じ時空に生き、シリーズの途中に2度3度と顔だけでもチラッとスクリーンに
見せて欲しかった。夏子さんは、このシリーズにかなり縁の深い人だと私は思っている。
寅の生涯たった一人の師 散歩先生
寅がどん底に落ち込んだ時、散歩先生が傍にいてくれ、そして泣いてくれるのだ。
ほんとうに散歩先生は寅の恩師だ。あれこそが『師』というものだとつくづく思う。
あんないい先生と生涯で出会えて、それだけでも寅はほんとうに幸せものだ。
さくらや身内はともかく、赤の他人で、誰も寅みたいな奴と一緒に泣いてくれはしない。
寅は、いつもマドンナを初め、旅で出会った人々を笑わせたり、励ましたり、助けたりしているが、
誰も、人生を通して業のように存在する寅の淋しさや辛さの荷物を少し持ってやろうなんて思っていない。
だからこそ、逆に寅に深い愛情を注いでくれた散歩先生は素晴らしいし、寅の悲しみに立ち会った夏子さんは
素晴ら� �い。寅の悲しみを共感し、分かち合えるというのは、ひとつの能力であり、才能だと思う。
寅が産みの親の菊さんと、会おうかどうか躊躇している時に散歩先生は強く会いに行くことを勧めるのだ。
散歩先生「寅、これは大事なことだからよーく聞け。」
老病死別といってな、人間には四つの悲しみがある。
その中で最も悲しいのは死だ。
おまえのおふくろもいつかは死ぬ。」
その時になってからじゃ遅いんだぞ!その時になって
あ~、一度でもいい、産みのお袋の顔を見ておけばよかった、と
後悔しても、取り返しがつかないんだぞ!そうだろ!寅!」
寅「…」
散歩先生「さ、会いに行け。生き てるうちに。今すぐだぞ」
しかし、結局寅はお菊さんと会い、とんでもない修羅場を経験してしまう。
心がズタズタに切り裂かれてしまったのだ。
散歩先生「あーあー、俺が悪かった。俺が無理にすすめなければこんな悲しい目に
会わなかった。泣け!泣け!泣け!こころから泣け!」
バン!とお膳を叩いて泣きながら
散歩先生「実にこの世は悲しいなあ…」
寅「そうだよ、ウウウ…、だったら先生だって泣いてくれよ!」
散歩先生「よし!泣こう。寅、お前と一緒に二人で泣こう、な、寅!」
寅はほんとうに幸せである。
夏子さんの亡き父への言葉
『お父さん、寅ちゃんは、お母さんに会� �ていたのよ。
そうなのよ、やっぱりそうだったのよ。お父さん。
お父さんがどんな顔をするか見てみたいわ。
でも…もう、そのお父さんはいないのね…』
この京都三条大橋のラストは、この長いシリーズの中でも屈指の名場面であり、
第8作「恋歌」のラスト、第17作「夕焼け小焼け」のラスト、第25作「ハイビスカス」のラスト、
と並び、日本映画史上に残る名ラストシーンだと言えば笑われるだろうか。
私は本気でそう思っている。
本編
今回は夢から
第1作との違いはあの松竹富士山の段階から
「男はつらいよ」のテーマ曲が流れるところである。
この後のほとんど全てが このパターンを採用していく。
第1作との違いは夢のシーンがこの作品から登場してくることだ。
このあとも夢のシーンが無い作品もちらほらあるが、
基本形としては冒頭には「夢」のシーンが定着していく。
もっともこの第2作はコントの要素は無く、
本題への伏線にとどまっている。
全体に薄い秋の夕暮れ色の画面。
寅 「もしやあなたはお菊さんと申しませんか?」「この顔に見覚えがございませんか」
「今を去る38年前、雪の降る寒い夜、
玉のような男の子をお産みなすった はずだ。」
この時点で38歳の寅次郎。
「おっかさんの倅、寅次郎でござんす」
「おっかさーん…」
「おっかさ~~~ん」と
エコーがかかって…
このシーンには後に本題の中で寅が京都で
母親のお菊に会う直前に人違いするお澄(すみ)さんが
登場している。←風見章子さん
「真実一路」でふじ子さんのお母さん役してましたね。
本当の菊は、泣く子も黙るあの、
ミヤコ蝶々さんである。
夢の中でもどうやら人違いしているらしい。
(観客はこの時点では寅同様この人が
お菊さんだと思っ� ��いる。)
ここで夢から覚める。
三重県 伊賀 柘植駅 近く
駅近く 旅先の料理旅館「小崎亭」
このロケ地を完全に発見されたのは、私がいつもロケ地についていろいろ助言をしていただいている
三重県在住のNさんである。
彼が発見して、数年後、鉄道中心の寅さん本が出版され、
それにはなんと「木曽福島の上松駅」と間違って書かれてあったらしいのだ。
Nさんは写真がライフワークで、もう何十年も日本中めぐられている。
そういうこともあって文字通り全国の街々をよくご存知なのだ。
ましてや御自分が住まわれている三重県。
それゆえ、しっかりとした取材のもとに柘植駅だと決定なされたわ� �だ。
まず最初に、
あの第2作の冒頭の旅館「小崎亭」が三重県の柘植駅でロケされたことを聞くために
現地の商工会に電話され、年配の男性職員さんがしっかり覚えていらっしゃったことで、
確信を持たれて、その後すぐにNさんご自身も現地に赴かれ、
「小崎亭」の近くで今度は別の年配の女性の方に直接聞かれ、
実際にやはり「小崎亭」が存在した事を確認したのだ。
その女性は小崎さんご家族を良く知っていて、
小崎さん御家族は25年ほど前にすでに引っ越されていったそうだ。
また駅の背後に映っていた山々の形が今も変わっていないことを確認し、
その風景を撮影し、
最終決定をされたのである。
ちなみに私の両親の故郷はこの柘植駅がある伊賀上野である。(^^)
< b>寅は寝ていたのである。←電話40番
柘植駅での蒸気機関車がシュ、シュ、シュ、ポーッ!
山田監督は本当に蒸気機関車が好き。
この先の第3作第4作でも効果的に使われている。
特に第5作は圧巻。
寅「また夢かァ…」
おなら「ぷーーぅ」
「うぅ…」パタパタ」
三味線 ペペペン、ぺンぺン…。
←初めてのギャグ(喜劇であることを知らせる)
メインタイトル(黄色地に黒と赤の文字)
←演奏はまだとても静かな優しい感じ
で、
後のダイナミックな演奏ではない。しかし静かな演奏もいいもんだ。
「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかい、
姓は車、名は寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します。」
さくらが結婚してしまったので
「俺がいたんじゃ、お嫁にゃいけぬ…」
とは歌えない。
それで2番の歌を採用(「男はつらいよ」はすべて星野哲郎さん作詞)
「どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲� �
意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは
目方で男が売れるなら こんな苦労も
こんな苦労も掛けまいに 掛けまいに♪」
とてもスローなテンポで歌っている。
演奏もゆったりしたもの。
曲と同時にキャスト、スタッフが、手書文字で出てくる。
第1作はフォント文字。
歌と同時に懐かしい江戸川土手を歩く寅。
ここでおなじみのショートコントが入る。
まず、カバンでカップルの男の頭を叩いてしまう。
そのあとサッカーボール を少年達の場所まで蹴ろうとして
空振り、ステン!と思いっきりコケル!
(この間も歌は終わっても伴奏だけは続いている。)
渥美さんのコントの中で、
ここまで思いっきり体を張って動いたのは珍しい。
このボール蹴りのシーンは体当たりの印象がある。
渥美さんもこの映画に燃えていたのである。
とらや 店
いきなり店員さんがドーンとアップで映り、
「お待ちどう様でした」←セリフを貰っていた。
この店員さん、第1作と違う女の子を使っている。
第2作のほうが年上で垢抜けている。この店員さんは第5作まで続く。
↓
さくらが満男のオムツの世話をしている。
さくら「さあ、そろそろ帰ろうかな」
おいちゃん「まだいいじゃないかよ。博さんとお帰りよ」「晩飯だけ食べていけ」
などといってさくらを帰そうとしない。
森川さんは人懐っこいキャラクターの『おいちゃん』だ。
なんか観ていて温かい気分になれる。
おいちゃん 「あのばあさんとさしむかえに
飯食うの飽き飽きしてんだよ。」
なんて不謹慎なこと言っている。
おばちゃん満男をだっこして裏の工場から戻って来る。
おばちゃん「満男ちゃんににおとうちゃんの働いているところを見せてきたよ~」
おばちゃん、そんなん覚えてないって(^^;)
おいちゃん「みっちゃんよ、えー、フフ…。しかしこの子はなんだね、
ますます寅さんに似てきたね。」
さくら嫌がる。
ちなみにおいちゃんはこの作品では満男のこと
「みっちゃん、みっちゃん」って呼んでいた。
理由「四角い顔でよ」
「たぬき面」と「ゲタ面」で笑わせる。
ここで例の店員さん多めのセリフ
「おかみさん、お店のお客さんビール1本」
←実はこれはなんと寅が注文したもの。
お店の店員さんは寅のことを知らないのだ。
これは遥かず~と後に第47作「拝啓車寅次郎様」で
店員のカヨちゃんが同じ間違いを犯し、寅に団子を
出していた。
おばちゃん「いらっしゃい。はいお待ちどう様」っと
ビールを出して、はっと気づく。
題経寺の鐘� ��ゴ~ン』
寅 「おばちゃん寅だよ。見忘れたか?
・・そうだろうなあ、無理はねぇよ…」
おばちゃん 「やだよ!」
バシッtっと寅の背中叩いて(結構きつめに叩いてた)
おばちゃん「ちょっと、大変だよ、寅さんだよ!」
おばちゃん「なに言ってんだよ、なんだよー、
こんなとこへ座っちゃって
ビールなんか注文したやってさ、」
これも第47作「拝啓車寅次郎様」で、
同じギャグが使われる。
さくらが寅に「なに団子なんか食べてんの?」と言っていた。
寅「なんだよ、しばらく見ねえうちに随分年とったなあ…
あれから何年経ったっけ…(指で数えながら)」
おいちゃん「何年って、まだ一年もたっちゃいねえよ。」
寅「え?1年・あ、そうかい?オレは
また10年も経ったかと思ったよ…」
おばちゃん「さんざん心配してたんだよ。プイっと家を飛び出したっきり、なしのつぶてでさァ」
おいちゃん「ハガキの一本ぐらいよこしゃ良かったんだよ。」(店にはまといが置いてある)
寅「(感極まって)ありがとうよ、
こんなヤクザの旅ガラスにそこまで心配てくれて…」と頭を下げる。
� ��いちゃん「わかったわかったまあその辺にして・・な…」
寅「時に…妹のさくらは達者かね?え?」
茶の間で赤ん坊の泣き声。
寅、はっと気づく。
寅「さくら!…、なんだいそりゃー。
へーぇ…子供が生まれてたのかー、
おまえの子供か?よかった
よかったよかった。
そうかぁー、それじゃあ、
博と上手くいってんだなあ。え。」
↑第1作ラストの手紙で「風の便りに妹さくら
出産の知らせを聞き…」と手紙で書いて
いるので本当は知っているはず。この寅の
行動は第1作をきちんと見� ��人にとっては
困惑する発言。
さくら「バカね、お兄ちゃんは…なにしてたのよ。
こんなに心配しているにのに・・・知らないで」
さくら泣いてしまう
(さくらの顔が美しい)
寅「オレが悪かった…。泣くなよ」
おばちゃん「寅さん、あんたの甥だよ、抱いておやりよ」
おばちゃん「ホーラホラ、満男ちゃん。伯父さんだよ、お前の」
おいちゃん 「寅さんよ、おめえに似てるって評判なんだよ・・・」
寅「そうか…おめぇオレに似てるのか?え?」
遥か後に、満男は恋にのた� �ちまわるところまで
寅に似てくるのだ。
なんともいえないやさしい顔で満男を見る寅
第42作以降、満男シリーズになったときに、
満男の言動が本当に寅と似ていて、
この第2作を思い出してしまった。
おいちゃん、酒の用意をし始める。
寅「ちょっと、待ってくれ。せっかくだけどな、
オレはあんまり長居はできねえんだ」
寅「これで失礼するぜ・・・」
さくら、驚いて、戸惑う。
とらやの品書きが正面で垂れている。これは面白い位置だ。
おいちゃん「冗談じゃねえ、今来たばかりじゃねえかよ。」
寅 「止めねえでくれよ。
ゆっくりしてえのはヤマヤマ だけどよ、
実のこと言うとオレは旅の途中よ。
何、ほんのちょっと寄っただけのことさだ。」
さくら「でもなにも今すぐ行かなくたっていいんじゃないの?
狭いけど私の家にも泊まっててよ、ね?」
寅は、さくらたちのあの潜水艦のようなアパートには
この後も結局一度も泊まらなかった。
リリーは一度第15作「相合い傘」の時泊まった。
源ちゃん、とらやに来ている。
寅「ありがとうよ。オレはおめえのその元気な姿観ただけで結構。
博のヤツに会えなくて残念だがよろしく言ってくれ」
さくら「ちょっと待ってよ、博さん今呼んでくるから、ね。」
おばち ゃん「何も遠慮なんてすることないんだよ」
おいちゃん「とにかくな、奥で茶一杯!それぐらいならいいだろ!」
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